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2023年04月25日

【目指せ!国士舘から世界へ?】小林唄選手インタビュー(種目:アーティスティックスイミング日本代表)

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今回フォーカスするのは、昨年アーティスティックスイミング日本選手権で3連覇、そして11月には日本代表に選出と好調の小林唄選手(体育3年)。今年7月には世界水泳福岡大会も控え日本代表合宿など多忙な日々の中、小林選手のこれまで、そしてこれからを伺いました。

<2023年2月9日取材?多摩キャンパス>

──アーティスティックスイミング(以下AS)を始めたきっかけについて教えてください。

もともと地元?長野のスイミング教室に通っていたのですが、友達に誘われて行ったAS体験教室で、「手足が長いからASに向いている」と声をかけられ、小学校3年生の時に長野ASクラブに入りました。ASがどういうものかも良くわからず、体験教室が楽しかったのでクラブチームに入りましたが、練習は体験教室とはまったく違い、とても厳しいものでした。平日は学校が終わるとすぐプールに向かい、土日は終日練習。大変ではありましたが、元日本代表コーチに指導していただき、とても恵まれた環境で日々練習できていたな、と思います。

──思い出の大会はありますか。

高校1年の第73回国民体育大会(国体)と、コロナで延期になった第17回FINA世界ジュニア選手権大会です。

──まずは、第73回国民体育大会について。

ASは大きな区切りである高校3年生までと思っており、大学進学も全く目指していませんでした。高校1年生の時クラブで優秀な1学年下の後輩と2歳年上の先輩が国体で優勝しました。その時、補欠で私も選ばれて国体に参加したのですが、優勝した時の表彰式の2人を見て、「なんかいいな」「私も表彰台に」と思いました。その2人は日本代表ジュニアにも選ばれていたので、「日本代表に選ばれたら何かが変わるのかもしれない」と思い、次の年から選考会を受け始めました。国体は、明確な目標を持つきっかけとなった大会です。

──次に、第17回FINA世界ジュニア選手権大会について。

高校2年生の時に日本代表ジュニアに選ばれ、第10回アジアエージンググループ選手権大会(インド)でも優勝することができました。そして、2年に一度行われるFINA世界ジュニア選手権大会(世界ジュニア)に選ばれてちゃんとメダルを取って辞めようと決めました。

世界ジュニアを目指してずっと練習しメンバーに選出され代表合宿に参加したのですが、コロナの流行により世界ジュニアが中止になってしまいました。そして、ジュニアオリンピック、国体も全部コロナのため、中止になってしまいました。日本選手権であれば年齢が上がっても出場できるのですが、ジュニアオリンピックと国体は出場資格が高校3年生までしかなく、世界ジュニアも同様でした。

コロナですべての大会が中止になったと聞いた時、泣き崩れました。それを聞いた次の日は朝から練習だったのですが、練習は行ったもののトイレに閉じこもって、ずっと泣いていました。

あの時は本当に精神的に追い詰められていました。そんな中で「次の選考会に向けて頑張ろう」と言われてもメンタルが追いつかず、モチベーションが保てない状態でした。

 

そんな失意の中、うれしい知らせが届きました。世界ジュニアが翌年大学1年生まで特例で出られることが決まったのです。あと1年ASを続けようと決意しました。

進路についてどうしたものかと考えたのですが、就職しながらジュニアの合宿は無理があり、専門学校もなかなか練習時間が取れないと聞いて、やはり大学進学だと考えを固めました。私のクラブには、国士舘大学に通いながら長野のクラブに所属し続けている先輩がいたので「自分も通えるのでは」と思い、国士舘大学を受験しました。コロナがなかったら大学進学の選択肢はなかったのかな、とも思います。

 

晴れて大学1年生になり、世界ジュニアのメンバーに選ばれて合宿に参加していました。そんなとき、コロナ再流行により再度世界ジュニアが中止になってしまいました。かなり練習していたので、私だけでなく周りのみんなも相当ショックを受けました。その時は、「自分には不運しか訪れないのかな」と思ってしまいました。

思いもよらぬタイミングでコロナ禍に突入して、国体、ジュニアオリンピック、世界ジュニア、全部なくなってしまい、さらに大学1年生でやっと特別に出られると思っていた世界ジュニアが中止になり、あの頃は精神的にも崖っぷちでした。

しかし、コロナがなかったら国士舘大学に進学していなかったし、日本代表にも自分はいなかったので、今考えれば悪い事だけではなかったのかな、と思います。でも、この考えは渦中にいたころは考えられなかったですね。

──今回、日本代表に選ばれました。

最終選考課題が苦手分野だったので、選ばれたときは驚きました。でも、驚いている暇もなく合宿の日々が始まりました。合宿開始早々、レベルの違いにがく然としました。ジュニア時代は、自分がみんなを引っ張っていく立場だったので、自分よりレベルの高い選手ばかりに囲まれ、練習量も今までより格段に増え、肉体的にも精神的にも大変な日々を送っています。

──オフの日は、どのように過ごしていますか。

心身をリラックスするようには心がけていますが、やっぱり合宿が終わって次の合宿までのオフ期間、練習しないというのはダメなので、トレーニングもしますしプール練習もします。次の合宿までレベルをキープするようにしています。

オフの時には、パン屋によく行きます。合宿中は食べることも練習のうちなので、毎日お米を食べていました。パンは力が出にくくなってしまうので、エネルギーになるのはやっぱりお米。また、筋肉つけるために1日3食ちゃんと食べなければいけないのがとても大変です。合宿中の食事は、息抜きにはなりません。食トレです。合宿が終わってパンやピザを食べたときは、幸せです。そして、家で落ち着いて食べられる食事は至福の時です。自分の好きな時に自分の好きなものを食べるって最高です。

──大学での小林選手について。

大学に進学してもクラブに所属していたので平日は大学のシンクロナイズドスイミング部での泳ぎ、週末は長野で練習の日々でした。金曜日授業が終わって夜行バスで長野に帰り、土日終日練習してまた日曜の夜行バスで東京に帰るという生活でした。

私の学科は実技が多く、先日も剣道、レスリングなどの実技があったのですが、本当に何もできなくて。自分は本当に重力のある陸が無理だなと実感しました。自分は水中のスポーツでよかったな、改めて水中はいいなと思いました。

──よく聴く音楽はありますか。

TWICE、ベリーグッドマンが好きでよく聞いています。

ほかの競技の選手で直前まで好きな音楽聞いている方がいますが、シンクロは曲に合わせる競技なので、それはないです。家でも寝る前に演技の曲は聴くようにしています。一回そこでちゃんと思い出して落とし込んで寝るという日々です。

──好きな言葉を教えてください

「試練は、それを乗り越えることができる人にしか訪れない」という言葉です。これは、とあるドラマの中に出てくる言葉です。つらいことや、できないことがあっても、この言葉を思い出すと「これは自分が乗り越えられる範囲の試練なんだ」と思えるようになります。 

3連覇した昨年5月の日本選手権で演技する小林選手(左)=フォートキシモト提供3連覇した昨年5月の日本選手権で演技する小林選手(左)=フォートキシモト提供

──今後について教えてください。

前回日本代表に招集されたとき、自身の日本選手権3連覇がかかっており、目標が日本選手権に向いていたため代表は辞退しました。

その結果、日本選手権3連覇を成し遂げることはできましたが、日本代表チームも世界水泳ブタペスト大会でメダルを獲得しました。それを見て、「もし自分が代表に入っていたら」という悔いと、「日本代表で結果を残したい」という気持ちが高まりました。今回、日本代表に入ることができましたが、今年からルールが大幅に変更され、今まで10人で泳いでいたチーム種目が8人になるなど厳しさが増しています。まずは7月の世界水泳福岡大会に向けて頑張ります。

プロフィール

名前:小林 唄(こばやし?うた)

学部:国士舘大学体育学部体育学科3年

所属:長野アーティスティックスイミングクラブ

       国士舘大学シンクロナイズドスイミング部

生年月日:2002年8月6日生まれ(20歳)
出身地:長野県

出身校:長野南高等学校

◆過去のインタビュー記事はこちらから

「目指せ!国士舘から世界へ」バックナンバー:
https://www.kokushikan.ac.jp/spokon/news/details_13190.html

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